民放を観ていて途中でCMが入ることがある。今では動画視聴中にも同じようなことがおこるが、動画の場合は最初の何秒か見ればスキップすることができる。また録画していたビデオを観る場合でもボタン一つでCMをとばすこともできる。
今では機器の進化でCMをとばして視聴することができる便利な世の中になったが、自分が子供の頃、ビデオなどがまだ普及していなかった昔ではCMをスキップするということはほぼできなかった。できることといえばCM中にトイレにいったりと視聴中の番組を観るのを止めていったん休憩して別のことをするくらいであった。
特に昔はとてもいい場面で、なんで今CMがはいるんだとクレームを入れたくなるようなことが何度かあっと思う。しかしよくよく考えてみればこの番組を我々が無料でみることができるのは、このCMを放映しているスポンサーの方がテレビ局にお金を払ってくれているからであって、そこでそのスポンサーの企業に怒るのは筋違いということである。
だから今視聴している番組をタダで観られることに対して逆にそのCMを入れたスポンサーに感謝しなくてはならないのである。それが嫌ならCMのないNHKのように受信料をこちらから払わなくてはならない。
YouTube動画を無料でみることができるのも広告が入るからであり、もし広告なしにしたければお金を払わなくてはならない。
ところで私はお金を払うのが嫌ならCMが入ることに対して我慢しろと言いたいのではない。見方を変えると流されているCMは今、そのCMをうっている企業がお金を払ってでも世間一般に広めたいと思っていることである。その企業が今、一番何を伝えたいのか、そのことを知れる良い機会に恵まれているということである。
そう考えるとCMはいわばその時代の旬なものをうつす鏡だと考えてもよいと思う。前にも一度似たようなことを書いたと思うが、CMを含めて一時間の番組を観るというのを乗り物にたとえて考えてみると、CMなしの番組は新幹線や特急料金を払わなければならない電車。もしくは高速料金を払って高速道路を運転するようなものである。つまりお金を払って一時間番組を一時間かけずに早く観ることができるというものである。一方、CMありの場合は各駅停まる各駅停車の電車であったり、信号がある一般道を運転することに例えられる。確かに高速道は早く着ける反面、信号がある街中を走ることがないため世間一般に今、何が流行っているかといった今起こっている街の風景をみることができない。また電車で例えれば街中を乗り降りする市井の人々をみることができない。
よってCMをみるということは今世の中で何が流行っており、どういったものを売ろうとしているのかといった世間一般の関心を知ることができるのである。そう考えてみるとCMがいいところで入ったら、今自分は今という現代の街に途中下車していると考え、今の時代の街を見物してみるのもよいだろうと考えてみてはどうだろうか。
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