第5回 過渡期

大河ドラマ「青天を衝け」がいよいよ佳境である。渋沢栄一が明治政府内で活躍している場面が描かれているが、ドラマを見ていて明治初期のこの時期の人々のスタイルが和装、洋装と混在している。

つまり一番目立つ違いといえばヘアスタイルが現代の斬髪かちょんまげかである。特に渋沢はじめ若い改革派は西欧スタイル、年配者や伝統を重んずるタイプはこれまでの和のスタイルとなっている傾向があり、同じ場にいるのに見ていてなんだか奇妙というか多少の違和感があって面白い。当時の人たちは同じ空間にいてお互いそれぞれのスタイルをみてどう思っていたののか気になるところである。

これを現代におきかえてみると携帯電話でもガラケーからスマホの流れになっている移行期とかがあげられる。当時は郵便というこれままでの社会になかったものがでてきており上記にあてはめれば飛脚から郵便に切り替わっている最中というところであろうか。当時の人々からしてみれば新しいものが出始めてはいるがどういうものかまだなじみがなく距離をとって静観しているといったところであろう。

時代はくだって手紙からメール、メールからラインなどと変化している。いつの時代も新しいものをいち早く取り入れるのは柔軟な思考をもつ若い世代ではなかろうか。特に今という時代にしぼってみればeスポーツというものが最も新しいものの一つであるといえよう。

自分にしてみればゲームがなぜスポーツなのか理解に苦しむ。またこれが部活動になったり、大会で賞金がでたりして「ゲームをしていてお金がもらえる」ことは自分が子供時代には考えられないことであった。しかし発想をかえてみれば自分が子供の頃にはプロ野球やプロゴルファーといったれっきとした社会に認められているプロの職業があり、小さい子供がなりたい将来の職業をきくとプロ野球選手は必ず上位に入ったものである。

これらの職業も黎明期の頃は野球やゴルフといった遊びでお金を稼ぐ、つまり職業になるとは当時の人も思わなかったであろう。今の時代はさしづめeスポーツやユーチューバーなどといったところであろうか。特にeスポーツは高齢者の認知症の予防にもつながるし、ユーチューブは検索と同じで分からないいことを調べたり動画で理解することができたりなどすでに社会にも役に立つツールとなってる。

つまり時代時代ににおいてこれまでになかった新しいものが普及し生活の一部になっていく際には今では当たり前で常識に思っていたことでも当時においては多少なりとも違和感を覚えたり、戸惑ったりもしたように思う。自分は昭和の人間だからとか、平成世代、令和世代といったように誰でもその時代その時代の慣れ親しんだ価値観というものをもっている。過去をふり返ってみても分かるように今、現在においても私たちは何らかのシステムの移り変わりの真っただ中にいる生き証人である。

例えば手書きからパソコン。フィルムからデジカメ。現金での支払いからキャッシュレス決済などの変遷は私たちが生きている時代に起こっている現象である。今まさに私たちはこれら両方を使用する人たちを見ているわけで、明治初期の人たちがちょんまげから現在の髪型に移行している時期の人たちがこの変化をどうのように感じていたのか、違和感がなかったかといった疑問が今、私たちに起こっている現象にあてはめてみるとなんとなくではるが分かったような気がする。

つまりちょんまげ派は現金派、ざんぎり派はキャッシュレス決済派のようにしてみるということである。そのような見方で現在放映されている大河ドラマ「青天を衝け」を現在過去と移り変わっていっている色々なものにあてはめて考えてみてみるのも面白いと思った。

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