自分が子供の頃から比べると今の時代は大きく変わっている。例えば子供の頃はテレビのチャンネルはNHKと民放だけであった。しかし今ではYouTubeができて個人が自由に発信できるためテレビ以外でもチャンネルは無限にある。その他にも電話は携帯電話が当たり前になったし、携帯電話でテレビもみることができる。インターネットもここ50年間で新たに世間一般に広まってきたものだ。これらのものも含め自分たちの子供の頃にはなかったものがたくさんでてきている。
自分は今年で50歳になるが、過去50年間で大きな変化が会った時代はいつかとふと考えてみた。自分のあくまで私見であるが、一番の変化が大きかった時代は江戸から明治にかわった50年間ではなかろうか。
これまでほどんど外国人がいない日本に外国人が入ってきたこと。髪型がちょんまげから変わったこと。服装が洋服に次第に変わったこと。汽車や電話ができたこと。食事に肉がでてきて一般的になっていくこと。など同じ50年間でも時代が目まぐるしく変化していったことが分かる。
ここで思ったのは果たしてその時代の人たちは新しい変化に驚きつつもうまく変化についていけたのであろうか。前にもそれについては書いたことがあるので今回は違った視点でみてみたい。
今の時代でいえば、NFTなど聞いたことのない言葉もでてきている。自分も全く何か分からない。おそらく江戸から明治に入ってきた時にもその時代の人々は西洋から新しく入ってきたものに対しては同じように思ったものであろう。
しかし時代が経つにつれてそれらは当たり前になってきた。よく自分の職場でも商品を注文する時にはタッチパネルをお客様に使っていただいている。これまでは口頭で注文を受けていたが、機械を使用することにより注文を受ける際の時間やオーダーミスが減ること、なによりも効率的に運営ができるようになったからだ。今ではこれが当たり前になってきている。
こうしたタッチパネルは年齢の若い人にとっては当たり前のように使いこなしているが、いっぽう年配のかたにとっては使いかた、注文までの操作が分からないため使用されずに以前のように口頭でご注文されることも多い。
これは若い人は生まれてからずっとこういった機器があり身近に触れているために抵抗がないが、逆に年配の方にとってはこれまでになかったものがでてきたわけであり、またほとんど触ったこともないためにこういったことがおこるのではないかと思う。
自分も機械関係には同世代の人と比べて疎い方ではあるが、こういった機器は毎日の仕事で使用しなければならなく否応なく触れているために、たとえ他の違ったお店に行ったとしも、仕様は多少は異なるものの抵抗なく使用できるのである。
つまりたとえ初めてでもそれに慣れているかどうか、その使用している頻度によって違ってくると思う。たとえ若い人でも初めから新しいものについて分かっているのではなく、それを普段から触っている、触れている、使用しているからスムーズに使いこなしているように見えるのである。
かくいう自分も最近インスタグラムをはじめた。とはいっても自分個人のものを投稿しているわけではなく、会社から毎週投稿をするように言われたからである。はじめは全く分からなかったがやらざるを得ないのでやってみると、まだまだ初心者ではあるが写真を撮ってコメントをのせて投稿するといった基本的なところはできるようになった。
最近ではそれよりも一歩すすんだリール動画や画像にコメントを付けたりすることにも挑戦しようと思っている。
最後に、新しいもの、これまでになかったものを使いこなそうとすることは最初はハードルが高い。おそらく自分も含め多くの人はできないこと、分からないことは恥ずかしいと考える傾向があると思う。誰でも最初から分かっている人はいない。今スムーズに使いこなせている人でさえ最初は初心者だった。
だからまずは勇気をもって分からなくていいから人に聞きながら触れてみる。そしていきなりできないからとあきらめるのではなく毎日何度も触れてみる。高齢者の方がスマホを始めるように、毎日触れ続けて慣れてくるにつれて抵抗はなくなりそれが普段の日常の一部になってくると思うのである。
自分もこれから新しく出回り始めているものに対してはそういった心構えで臨みたいと思う。
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