いつも就寝前に愛読している稲森和夫氏の「京セラフィロソフィ」の中から昨日は自分の好きな箇所がでてきたので紹介したい。
それは社用車に関すること。京セラでは会社の役員クラスになると社用車がつき、会社への通勤には送り迎えをしてもらえる車と運転手さんがつく。それは役員だから車がつくというのではなく、役員ともなると夜は遅くまで仕事をし、また四六時中仕事のことばかり考えているため通勤時には余計なことに気をわずらわせないようにするために会社が車を用意しているのだ。決して役員だからといった権利でついているのではないということである。
これには稲森氏自身の体験談からきている。はじめは稲森氏自身が会社まで運転していたが、物事を考えながらの運転であったから危険極まりない。そこでどうしても運転手さんがいるということで運転手を雇ったという経緯があったのである。
自分もこれを読むまでは会社で偉くなれば送り迎えの車や自分専用の部屋が自然につくものだと思っており、その深い意味は知らなかった。これを読んで他の人と違って特別な待遇を受けられるのは自分の仕事に集中してもらうためなんだなということに気づかされた。
あとその社用車も仕事に集中するためのものなので、仕事とは関係のない人が私用で使うことはもちろん禁じている。稲森氏も自分の奥さんにもそのことをよく話されていたという。ある時、稲森氏が出勤の時に奥さんも出かける用事があってすぐそこの駅まで行くのをちょうど通り道だからということで一緒に乗せようとしたことがある。その時に奥さんは会社とは何の関係のない私が会社の車に乗ることはできないと頑として断ったそうである。後でそのことに関して、やはり公私のけじめが大切であると改めて稲森氏は考えさせられたということである。
このエピソードを読んで、稲森氏の奥さんはさすがだなと感心するとともに、どんな時も仕事やプライベートとの境界があいまいにならないようしっかりとけじめをつけるようにしなければならない大切さを学ぶことができた。
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