第285回 幸せではなくなった国

自分は「池上彰のニュースそうだったのか」という番組をビデオに撮ってみているが、直近の放送で「世界一幸せの国」といわれてきたブータンの幸福度ランキングが急落してきたという話題があった。

この幸福度ランキングというものは国連が2012年から毎年発表している調査である。それによればブータンは2013年には北欧諸国に次いで世界8位となっていたが、2019年で156か国中95位にとどまって以来ランキングには登場していないということである。いったいどうしてか。

理由はSNS等の情報の普及により他国のことがよくわかるようになり、自分たちの現状と比較した結果「隣の芝は青く見える」といった心境になったため幸福度は薄まってしまったからではないかといわれている。

これまでは、ブータンには電気が通っていなかった地域もあり、そういった他国の情報が入ってこなかったのだが、現代文明の利器によって自分たちの知らない世界を知ることで今の自分たちの暮らしと比較してしまい、生活する上ではこれまでとはそれほど変わらないにも関わらず、自分たちより豊かな生活をしている人々がいるという現状を知ったため感情の面で幸せとは思わなくなったのだろう。

人間とは複雑な生き物で、これまであったものに満足していたかと思うと、ちょっと今あるものよりもよいものを見つけるとそっちの方を羨ましく思ってしまう。よく言えばそれが自分たちの生活をよくして社会をより発展させていくといった原動力にもつながるわけであるが、逆に言えば不満をもってしまい妬みや嫉妬を生み出すこともあるのである。

それではブータンの国民は外の世界を知らずにずっと閉ざされた自分たちだけの地域で暮らしていけばよかったのかといえばそれはそれで違う訳であり、やはり大切なことは、人は人、自分は自分であるということを知り、自分たちにとって大事にすること、大切にすることをしっかりと把握することではないか。

人間誰でも他人のことは羨ましく見えるものである。しかしあくまで世の中にはそういう人や世界もあるということを知った上で、自分にとってふさわしいものをしっかりと見極めて選んでいくことが大切なことではないか。

ブータンの国民も確かにいままで自分たちの知らなかった世界があったことにカルチャーショックを受けたであろうが、ふりかえってこれまで自分たちが大切にしていて幸せだと感じていたものを再度見つめ直すよい機会にもなるのではないか。そうした上で、これまで自分たちの知らなかった別の世界の幸せもあるということを認識していくことも大切なことではないだろうか。「欲」と「分相応」がせめぎ合っている難しい状況下ではあるが、改めて自分たちにとっては何が幸せの要素であるということをこの機会に考える契機となってもらいたい。

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