今朝のVoicyを聴いていて「場末のまんじゅう屋」の例えという話があったので商売をやっている人、経営者を目指す人にはとてもためになるのではないかと思い紹介してみたくなった。また自分も書くことでその話を忘れないよう自分の記憶にも定着させたいとも思っており一石二鳥の効果も実は密かにねらっているのである。
話の内容は、まんじゅう屋さんを営んでいる店主の心境を表したものである。精魂を込めて作ったまんじゅうを店先に並べても客が来ない。値段があっていないんだろうか、場所があってないんだろうか、看板が小さすぎるのだろうか、看板の見える角度が悪いのだろうか、もっともっとチラシを配るべきなのではないだろうか、接客なのか、付け合わせのお茶なのか、とりあわせなのか、セットメニューなのか、そうこう真剣に考えている間にどんどんお金がなくなっていく。そうなるとこのままではつぶれると思って胃がキリキリと痛む。経営者というのはそれでも逃げてはならない。考え続ける、そういう経験をしないと絶対に経営者にはなれないといった例えである。
この話からはお客様が来ることは当たり前じゃない。お金をもらえるのは当たり前じゃない。給料をもらえるというのは当たり前じゃない。仕事があるということも当たり前じゃない。といったことが教訓として学べる。会社員として働いている自分を含めた多くの方は、お客様がすでに来てくださっている今の現状が当然普通のことだと勘違いしている。本来お客様ははじめから来ないものとして考えるといった視点が抜けている、それでも今、多くのお客様に来ていただいていることは過去の創業から関わる会社の方の努力と創意工夫の積み重ねの成果であるということが改めて分かったのである。
この話を聴いた後では、これまでお客様がお店に来てくださっている現状を当たり前のことだと思っている自分がいささか傲慢であったということに気づかされた。もし自分が一人で資金をだしていまの会社の商売を始めようと考えたらおそらく夜も眠れないくらいの思いをするであろうし、どう考えても一人では無理だろうと思う。そう考えたら今日まで今ある現状を創り上げてくれ、会社を引っぱってくれてきた方々に心から感謝したいと思うようにもなってきた。
キリキリと胃が痛むという思いをするということは、自分が全ての責任を背負っているということの表れでもある。それだけ自ら商売を始めるということは難しく、何の保証もないわけなので苦労することと思う。自分たち待遇が保証されている会社員には当然ふだんはそういったことに気づかずに抜けているものだと思った。仮に自分が創業してたとしてこれらの苦労を経験した後でお客様がきてくださったとしたら、おそらくその感謝の気持ちはとてつもなく大きいものであろう。今の自分にはその感謝する気持ちもそれに比べたら小さいのではないのかとも思った。これからもそういった意識を常に忘れないよう高い視座をもって仕事に取り組んでいきたいと思った。
コメント