第82回 本質をつかむ

前回の大手中古車会社の不祥事の件で店舗前の植樹が除草剤によって枯らされ土と枝葉のない幹だけになっていたということについて思うことを述べてみたい。

もともとは店舗前の不要な雑草を抜いて、植栽をととのえ、見栄えのよい景観をつくるといったことが目的であったと思う。

しかしそれには当然、手間がかかる。雑草は抜いてもすぐに生えるし、枝葉もこまめに剪定しなければならない。暑くて晴れている日が続けばもちろん枯れないように水をやったりして手入れをしなくてはならない。

つまり植物も生きているわけであり、生き物として扱い世話をしなくてならない。人間に例えるわけではないが、小さな子が悪ふざけをしたり騒いだり、規律を乱すようなことをしたら正しい方向へと諭して導くのが人としての在り方ではないか。

植栽というのは本来ならば、伸びきって周囲にはみだした枝葉や雑草を整えて本来のきれいな姿に戻すことである。

それを除草剤をまいてそのもの自体を生えないようにすることは小さな子供を躾ではなく力ずくで黙らせたり、強制的に遊ばないようその場に留まらせたりするようなものである。今後社会へ巣立っていくのに必要な物事を教えずにその個性や良さ、強みを発揮させることなく外へ一歩もださずに悪いことをしたら納屋へ閉じ込めておくといったお仕置きや懲罰に等しいことであるように思う。

本来子供は自由奔放で、良いことや悪いことは分からず、普段の生活の中から経験し、時には失敗もしながら我々のような大人も交えて教え諭して自ら気づいて学んでいくものである。

私たちはたとえ多少は手を焼くことはあっても、きちんと身につけさせたことは必ず後になって分かってくれるという思いのもと、子供なのでたとえ一度だけでは分かってもらえなくても根気よく続けていくうちに将来はきっと立派な姿になってそれぞれの持ち味を活かした常識をわきまえた大人となって社会に貢献してくれるであろうということを願っているのである。

前述の中古車販売店でいえばたとえ面倒でも、日々こまめに雑草を抜くなどこまめな植栽の手入れをすることによって、植栽そのものの景観だけではなく、その本人の人間性までも磨かれ、常に周囲にこまやかな気配りのできる人に成長することにつながっていったのではないか、それがしいてはお客様の要望を心からくみ取れる温かなサービスにつながっていたのではないか。

上司からの外観等の点検はとても厳しかったときくが、もっと本来の目的をきちんと教え諭していれば過剰な除草剤は使って店舗前の街路樹が殺風景な冷たいものにならずに済んだのではないかと感じた。

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