第68回 占い

またしてもプライベートな話で恐縮だがうちの妻は占いが大好きである。部屋には占いの本が置かれており、毎週月曜日には人気のあの占いの番組も観ている。

ふだんは夫婦でほぼ同じテレビ番組を見て楽しんでいるが、こと占いの番組に関しては自分は全く見ない。理由は明確な科学的な根拠がなく信じられないからである。

例えば毎日放映される天気予報に関しては、自分たちの日常生活に多少は影響があり科学的根拠に基づいており理由を証明でき納得できる。100%当たらないにしてもきちんとしたデーターに基づいて予測しているわけであるから自分としては価値があると思っている。

しかし占いに関しては天文学からなど何らかの根拠があるにせよ言われたことが的を得ているとは思えないし、自分の意識次第でどうにでも変えられるのではないかと思う。よく民放番組のテレビのニュースの中でや新聞欄でも占いの箇所があるが情報を正確に伝える媒体であるメディアがそういった確証のないものを載せるのはどうしてだろうとも思っている。

よくよく考えてみるとまだ情報科学が発達していなかった太古の昔では占いで吉凶を予測判断するシャーマンが重要視されたり、平安時代には陰陽師なる職業も存在していた。今では考えられないが昔は病気を治すのに祈祷をしていたりと医学や人間の力ではどうにもならないものを神頼みするという風習があった。明治時代になるまでそういった官職が宮中に存在していたといわれているが、それが今でも占いとして姿を変えて残っているのではないか。

ここまで書いてしまうと占いをディスっているようであるがそうではなく、人間というものは何か不安があったり、将来を予測できないことに直面すると何かしらに頼りたくなるような存在だということである。今では感染症などが世界的に流行してもその原因を特定してワクチンをつくり予防することによって人々は安心感を得ているのである。しかしその病の原因が分からず直しようがないのであれば、どうしても不安や恐怖から逃れるためにそういったものに頼らざるを得ない。今に比べて昔の方が宗教がさかんだったのもそういった不安からくる心の平穏やよりどころをもとめていたからではないだろうか。

そういう現代に生きる我々も正月には神社に初詣に行くし、お盆などにはご先祖様にお墓参りにいくなどの風習が残っている。やはりその年を無事に過ごすことができるようにと願う気持ち、また今このように生きていられるのはご先祖様のご加護があったからだと感謝する心、そういった人間として幸せに過ごしたい、よりよく生きたい、人事を尽くして天命を待つという人知を超えたものにすがる気持ちをもつのも人間として当然であろう。もしそういうことに少しでもつながるのであれば実のところ占いも悪くはないと思っている。

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