第292回 運動は苦手(前編)

自分の子供の頃の小学校の通知表は5段階評価であった。もちろん5段階評価では5が最高点で1が最低点である。その時に人生で初めて通知表で1をとった経験がある。

科目は体育で小学校5年生の時である。普通体育で1がつくということは授業に欠席した回数が多いからとかが理由で1がつくことがあると言われていたが自分の場合はきちんと休まず出席した上での評価であった。

その時は確か小学校5年生の1学期だったと思う。学校の帰り際に自分の友達の通知表の評価を聞いたところ体育が5であとは全部3であったという。その友達はのちに中学で陸上部の入り、大会で大会新記録をだしたほどで運動神経には優れていたのである。

一方自分は体育だけが1であとは全部3という結果であった。ちょうどその友達と成績が対称的である。というのも自分は運動が苦手で鉄棒は小学生の頃は逆上がりができず、跳び箱も上手くどぶくことができない。さらに授業では跳び箱の上でまっすぐにでんぐり返しをするということをしていたが、自分はできずにでんぐり返しの途中に跳び箱の横から落ちてしまったほどである。

さらにマット運動の授業があり、前転、後転を練習していた時のこと。先ほどの例のようにまともに回転できない自分は、前転後転その両方ともたまたまうまく回れたことがあった。それを先生が見ていたのであろう。自分に自信を持たせるためであったのであろうか、全員の前でやって見てほしいと言われやってみたところ上手く回れなかった。本当なら上手く回れてみんなの前で褒められる手筈であったろうと思うが、それができなく先生に恥をかかせてしまったのであろうか。通知表で1の評価がついたことで思い当たるのはそのくらいである。

2学期も同じく体育の通知表の評価は1であった。3学期ではさずがに先生も一年続けて1はまずいと思ったのであろう、評価は2であった。

話は変わって小学生の低学年の頃であっただろうか、休日に両親と一緒に運動場に行ったことある。そこにあるジャングルジムに登った時のこと。下から2段目、3段目までは登れたが、それ以上は高くなるため足がすくんで上ることができなかった。しかし両親ははっぱをかけもう一歩上まで登るように促した。今では禁止用語であるが「男のくせに、そんなんじゃ女のくさったようなものだ」と言われて奮起しててっぺんに近いところまで登ったことがあった。

しかし、いつもしないことをやってしまい、今度は降りるときになると足がすくんで怖くて降りられなくなってしまったのである。そのまま動けずに固まった状態でいると、それにいらだった両親が「帰るよ」と言って自分を置いて歩き始めてしまった。おいていかれると思って焦った自分はこれまで身動き一つできなかったのに一人取り残されるのが恐ろしいと思ったのか身体が勝手に動きいつのまにか降りてしまっていて両親の後を追いかけるようにしてついて帰ったということがあった。

火事場のばか力のようなパワーが心理的に働いてこの時は無事に降りることができたが、それ以来ジャングルジムに登ることはしばらくはなかった。このように昔はとても臆病であったためそれが身体を動かす運動が苦手といったことに通じていったのであろうか。もちろん大人になった今では仕事で脚立に登って高いところの電球を変えたりフィルターを掃除したりしているのでジャングルジムにも当然登れるし、鉄棒でも逆上がりはできるようになった。跳び箱も何十年もやってはいないが、低いものであれば飛べそうな気がする。勇気やものごとに取り組む心構えがきちんとそなわっていればできるものである。今から思えばなぜ昔はできなかったのか、やはり気が弱い、勇気が持てないことが原因であったのかと今思えばそのように感じるのである。

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