ふつうとは何か。ふつうとは普通一般的に常識とされており平均的な値であり、だれにとっても差しさわりのない言葉である。しかしふつうとはその基準が人によって違ったり時代によって変わってきたりする。
例えば普通選挙といっても、初めて登場した大正時代では25歳以上で国税でいくらかを納めた男子に限るというものであった。(うる覚えなので間違っていたらごめんなさい。)つまり当時ではそれが普通であった。
結婚適齢期や結婚観、体罰などにおいても時代時代にその常識は今と異なっていた。つまり基準をいつにおくかでふつうはかわるのである。
これを自分自身にあてはめてみる。自分にとってのふつうとはもちろん他人とは違う。自分のいる地域や時代背景はさることながら、一緒に交わる人たちやそこで一定時間過ごす環境や風習によってもふつうはかわるのである。朱に交われば赤くなるという諺にもあるようにふつうはその時々で今の自分を表すバロメーターみたいなものではないか。つまり今の自分の価値観ともいえる。
昔ベストセラーになったバカの壁という書籍があったが、自分としての解釈は自分自身のまわりにとりまく壁、その内側が自分自身の理解できる範囲内のふつうという領域である。そしてその壁の外側には自分にとって理解できない自分にとってはふつうではない領域となる。幕末に起きたことで例えれば、異国が来た、攘夷だと言っている人は壁の中だけでとどまっている人。今の時代からみれば、もっと世界全体をみればただ単に攘夷だと言って異国を排除するだけの考えの人は視野が狭いな、もっと壁の外の世界を知らなければならないと思うであろう。もちろん当時の人の中には先見の明を持った人もいるわけで自分自身もそういった人のようにもっと勉強して広い視野を身につけていかなくてはならないと思った。
最後に自分自身、一つのことを見るにしても様々な視点からものごとをみれるような柔軟な考え方をもてるようになりたい。そして自分にとってのふつうのレベルの精度をもっともっと高めていきたいと思っている。
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