本日も昨日の稲森和夫氏の著書である「京セラフィロソフィ」の内容からの続き。
昨日は常に潜在意識にまで自分の思いを浸透させるようにしていかなければせっかく訪れているチャンスに気づくことなく通り過ぎてしまうということを書いた。本日は「人間の能力は進歩する」ということについて書いていきたい。
まず人間は勉強さえすれば学力は向上し、運動すれば身体は丈夫になってくるといった例をあげて説明されていた。そこから会社の事業経営に至るまで、成果が難しいことや可能性が小さいことでも「できない」と安易に結論づけるのではなく、人間には無限の可能性があるわけだから「やりようによってはなんとかなるのではないか」と思うことから可能性を追求していくことが大切なのである。
ちょうど尺取り虫が木の枝を這っていくように「進歩」というものはそういうことから始まっていくものだと本の中で述べられていた。
またこの箇所に書かれていたことではないが同じ「京セラフィロソフィ」の中に京セラがまだ中小企業であった頃、なかなか仕事の注文をもらえない中で稲森氏がまだやったことのないような製品をつくってくれと言われたことに対して「できます」と答えたというエピソードものっていた。
これはどういうことかというと、やったことがない仕事なので「できません」と答えるともちろん注文はもらえない。だから「なんとかできます。やりようによってはなんとかなるかもしれまん」と答えることによって注文をいただいてこようとしたのである。しかしできないままだとそれは嘘をついたことになるので、今はできないかもしれないが「人間の能力は進歩する」ということから試行錯誤を繰り返して最終的にはなんとか相手の希望する製品をつくりあげることができればそれは嘘ではなく方便なのだと書かれていたのも面白い表現だと思った。最終的にはなんとかみんなで知恵をだしあって相手側の求める製品を完成させたそうである。
このように今はできていない不可能なことでも、今の自分の能力ではできないかもしれないが、毎日努力することによってできるようになると自分を信じることが大切なことだと感じた。また昨日の潜在意識の箇所でもあったように、無意識のうちにも自分の身体に浸透させるくらいの強い思いをもって物事に取り組む姿勢も能力を向上させる上では必要なことであると今回学ぶことができた。
尺取り虫の例にあったようにたとえ小さくても地味な努力を重ねて一日一歩でも進化して自分自身の能力を高めていきたいと感じた。
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