今日も毎日愛読している稲森和夫氏の「京セラフィロソフィ」からの内容から思ったことを書いていきたい。昨日の続きの箇所からである。
内容は潜在意識と顕在意識について書かれていた。車の運転を例にあげられていたが、最初の習いたての頃は運転をするのにも全神経を集中して気を張り詰めた状態でやらなければならないのに対して、免許をとってしばらくして運転するのが慣れてくると、考え事をしながらでも自然に運転ができるようになってくる。狭い道に入って対向車とすれ違う際にも幅が何メートルあるから大丈夫とかいうことを考えなくても感覚ですり抜けていくことができるようになるのである。
これは顕在意識を使わずに潜在意識で運転しているからあると述べられていた。また大工といった職人が鉋(かんな)をかけたり鋸(のこぎり)をひくといった仕事をする際にも、最初見習いで入っている間は顕在意識で仕事を覚えようとしているので大変疲れるが、慣れて熟練というレベルに達すると身体が覚えているためとても楽にできるという例えも紹介させれていた。
ここまで読んで、なるほど確かにその通りだと納得した。仕事でも最初の入りたて、習いたての頃はなかなかできずに気疲れや体力の消耗が激しいが、何度もやっているうちにそれが身体が覚えることによっていつのまにか自然にできるようになり、疲れなくなってくる。これはまさに自分が大切に思っている習慣の力なのではないかと。
さらに読み進めていくと、潜在意識がひらめきを呼び込むとも書かれていた。つまり自分の強い思いを強く持続して意識してそれが潜在意識にまで浸透させていくと自分の願望がかなうというのである。
つまりチャンスがあったとしても潜在意識にまでしみこんでいないとそれを気づかずに見過ごしてしまう、強く持続した願望は実現するということも可能であると例を交えて説明されていたので、自分の思いの強さ、それを常に考えて身体にしみこませていくが大切であると感じた。
新しく何かをしようとか、始めようと思ってもなかなかそれが続かないのは、それをまだ顕在意識でやっているからであり、しっかりと潜在意識に浸透するくらいにまでやり込んで自分の習慣としていかなければならない、常に自分の実現したいと思っていることを意識してどうしたらできるようになるのかといったことをまさに習慣として身体にしみこませるまで真剣にとりくんでいきたいとこの箇所を読んで強く思った。
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