第213回 人を活かすもダメにするも思いや言葉次第

またもやカンブリア宮殿に出演していた栗山監督についての補足の補足である。今回で最後になるがこれを書くにあたって番組を3回観た。前回、前々回とこれまで2回書いてきたが、よくよく考えてみれば大切なとことを書き忘れたということを思い出した。せっかく大切なことを学んだのだからそれを残さずに書き切りたいと思ったからだ。

番組冒頭で栗山監督は色々なところから講演などのオファーがありそれに応えていたがその時に発せられた「唯一確信として分かったのはこうやって人はダメになっていく。こんなに褒められることは人生でなかったので、人はこうやって褒められて勘違いしてダメになっていく。それだけは分かった。」といった深い言葉がある。

その後で、トップの言葉はとても重く大きい。その選手にもうちょっと頑張ってほしいのにいい人間関係をつくりたいがために「いい感じだな頑張れよ」といった声かけは最悪な言葉だと言っている。その選手にとって俺って頑張っているからこのままでいいんだといった安心材料になってしまうからだ。

逆に侍ジャパンの監督になった時に選手にどうしても伝えたいことがあって全員に手紙を書いたと言われていた。「侍ジャパンのあなたは一員なんです」ということではなく「あなた自身が侍ジャパンなんです」と。つまり皆さんとこれから仕事をしようとする社員全員が「俺の会社なんだ」「俺のチームなんだ」とみんなが思った時に勝ち切れるというのである。

それだけ人に声をかける時にどういった言葉を使うのかといったことは大きい。その人を活かすもダメにするもどういった思いをもって接するればよいのかといったことを学べた。

あと栗山監督はあまり活躍できなかった選手時代に、めまいがして立ってられなくなるくらいひどい「メニエル病」になったことがあるという。その時に「めまいがしても野球ができる状態をつくれば野球ができると考えた」と話されていた。例えば頭を動かさないでバットを振るといったことを試してみたことで目線が動かないからバットにちゃんと当たったりするようになったという効果もあったということである。これは以前にも触れたが野球を愛しているからこそ、どんな状態になっても野球を続けていきたいという熱意や思いがそうさせたのだと思う。

日本ハム監督の打診があった際も、周りからは栗山さんは指導者というよりも発想が教育者であり、プロ野球レベルの選手を教育者の目線で育てていく、それができる人を球団は欲しかったんだと言われていた。しかし栗山監督は「これくらい野球を愛しているなら栗山に野球を任せてもいいなとなったのではないか」、前回にも書いたが私財を投じて野球場をつくって子供たちに野球を教えていなかったら監督になってなかった、これは間違えないとおっしゃっていた。それだけ自分が監督になれたのは野球に対しての姿勢や向き合い方を認められてのことであると自負していることの表れであると思う。番組ではその野球場にバットの素材のアオダモの苗を植えており、それを次に世代に残したいという思いも語られていた。それだけ野球に対して思い入れの深い人なんだなと感じた。

しかし栗山監督の人柄を表す自分が一番好きな番組の場面が監督就任時にコーチを選ぶ際に「今までと同じ人でいいです。僕がやりやすい人を集めるつもりはありません。今いるコーチは自分より優秀な人たち、彼らの力を借ります」といった場面である。これが栗山監督の人柄を表す最大のものではないか。そういった野球愛に満ちて、人を活かす監督であるのなら自分もついていきたいと感じた。

3回にわたって書いてきたが、この番組は指導者として大切なことが山のようにある宝庫であったと思う。とても貴重な番組を観ることができて、またそこから学ぶことができたことを自分自身に忘れないよう再確認するためにアウトプットできたこともよかったと思っている。

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