新聞各紙の一面の下の方に枠囲みされている短いエッセーがある。代表的なものでいえば朝日新聞の天声人語、日本経済新聞社の春秋などがあげられるが、よくよく考えれば新聞の顔というべき一面の限られた紙面上に毎日必ずレイアウトされているということは驚きである。
その日の重大ニュースが厳選されている新聞一面に果たしてこのコラム記事は必ずしも必要なものであるのか、なくても問題はないのではとふと思った。つまり新聞各社が毎日必ずのせておりかつやめて今はもう載せていないところがないのには何らかの理由があるはずである。
自分もそうであるが一面のあの場所にあるとついつい何故か毎日必ずといっていいほど読んでいる。それにはほどよく短くまとめられた読みやすい文章、ほどよい短い時間で読み切れる内容、直近の社会情勢を幅広い視点からうまくコンパクトにいいあてている場合があるところに共感するからであろうか。同じ意見が述べられている2面の社説とは違って長くなく堅苦しくなく読みやすいということが決定打であろう。おそらく社説よりかは読まれている割合は高いと思う。
数ある多くの事実が淡々と書かれている記事を毎日目まぐるしく読んでいる中、読者と書き手の心が触れ合い一瞬ではあるが心通わせることができたという安心感をもてるということが、常に一面のあの場所に居座っていられる理由であろうか。自分たち読み手が人間的なつながりを求めて訪れるもしくは自宅のように帰ってこれる場所があるというところがあそこから外せない一番のような気がする。
最後に蛇足ではあるが、このブログも同様に読み手の方に毎日の新聞のコラム欄を読むときの同様の心地よさがもたれ、日常の生活の一部になれるようなものにしていいきたいと思っている。またそのようになれるように今後も日々精進していきたい。
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