最近よく聞くメタバースという言葉。私はまったく詳しくはなく、インターネット上の仮想空間というくらいしか知らない。
ではなぜ今回、織田信長と掛け合わせてこの話題を取り上げたのかというと、このメタバース上において土地を購入できるということを耳にしたからである。もちろん架空の土地であってもお金がかかるわけである。言いかえれば、ありもしない現実にはない世界のものにお金を払う人が少なからずいると言い変えられるのである。
自分自身、どうしてそんなものにお金を払うのか、価値があるのかといったことが勉強不足のため正直よく分からないでいる。
話は変わって、あの織田信長のいた戦国時代、戦いに勝った恩賞といえばもちろん土地、領土であった。この時代支配している地域が大きいほど評価されていたわけであるが、信長は天下統一が近づいてきた時期に土地以外にも茶器や茶会を開ける権利なども恩賞として与えていた。
当時は茶の湯といった文化が発展してきた頃で、信長はそれをいち早く取り入れて部下にも広めていた。ここですごいのは信長はその茶の湯の価値を恩賞以上に引き上げたことである。
普通に考えて、戦いに勝った時に欲しいものは茶器よりも自分の領土ではないか。それを部下が領地の加増よりも名器といわれているものの方をほしいと言わせているところが信長の真のすごさではないかと思う。ただ単にモノではなくそれを所有することによって周りから羨ましがられる名誉欲みたいなものを家臣からうまく引き出したのだといえる。
もしこれが鎌倉時代の元寇があった際に、日本を外敵から守ったことからその恩賞で与える土地がないといった小学校の歴史の授業で習った場合のことを考えてみる。もし鎌倉幕府がこの信長のようなやり方をなんらかの形で模倣していたら褒美がもらえないといった不満がおさえられ鎌倉幕府は滅びなかったかもしれない。天下統一を果たした豊臣秀吉もこのようなやり方をとっていれば領土拡大のために無理に朝鮮に攻め込んだりする必要はなかったかもしれない。
土地、領土といった本来の正統な恩賞から、例えば官位、称号といったものではないものに移行、もしくは並行していく発想が自分が織田信長の行動から学んだことである。茶会を開催できる権利といったものは信長の家臣の中でもごく少数の者にしか与えられていない特権であった。また土地の加増より名器といわれる茶器を恩賞として望んだ家臣に対して、それを断って結果として茶器の価値をさらに上げたという行為にも信長の頭のよさを感じた。
そう考えてみるとメタバースといった仮想の空間にもこれまで何もなかった白紙だった部分に新たに価値をもたせて、多くの人がその世界に入り込んで熱狂させることが、メタバースという土地の価値を押し上げていくのではないかと感じた。その点が信長の発想と共通している部分だと思う。
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