ニュースや天気予報では10年に一度の強い寒気がやってくると報道されていた。そのため学校は休校になったり自分の職場も臨時休業になったりしている。終わってみれば幸い予想されていたような大雪は降らなく安堵しているところである。
今回は大雪ではなかったが、たいていそうった日には普段よりも早く起きて車に積もった雪をどかし、また車がスムーズに家の前から出られるように雪すかしをしなくてはならない。個人的には職場の雪すかしもしないといけないし道路も渋滞しているだろうから気持ちは少し焦っておりピンチな感じである。
速足でいつもよりも厚めの身支度をして車のフロントガラスに覆われた雪をおろしていると、ふだんはあまり顔を合わせない近所の方も同じようにしているのを見かける。家族みんなでよく降りましたねなどど軽く会話をして雪すかしの続きをするわけであるが、これまでに一度顔を会わせただけでそれ以来会っていない人もおり、顔と名前とが一致できない人も多い。今思えば自分はご近所のことに関しては何も知らず、家のことや近所づきあいはいつも妻に任せっきりにしていたことが改めてよく分かった。
今回のことがあったおかげであの人はあそこに住んでいた人なのかといったことや、町会長の名前は聞いたことがあるが、どういった方なのか見たことのない。幸い妻が先に挨拶をしてくれるのでそれにつられてこちらも会釈する。そうやってそのお姿とお名前とを把握していけたのである。
もちろんこのことができたのは雪が降ったおかげで家を出てから車を出すまでの朝の出発までの下準備の時間がいつもより長くかかるために生じたものである。家の扉を開いてすぐに出かけられるようではこのようなコミュニケーションをとる時間がないため難しい。雪が降って出発までにしばらく足止めをくらう状況があったからこそできたことなのである。
よくよく考えてみれば雪が降ってその積もった雪を除去する作業は確かにいつもの出勤パターンからするれば無駄で余計なものである。しかし見方をかえればそれがあったおかげで普段気づかなかったことが気づけたわけである。さらにいえば雪すかしを終えて車に乗って出勤している途中でも、車窓からは銀行やお店といった駐車場の雪をどかしている方の姿がよく見られる。こういった光景は普段の日常ではめったにお目にかかれることではない。雪という一見はたから見れば余計なお荷物みたいなものがふだん会わない人との接点をもたらしてくるのである。
またよく観察してみて思うことは、早い時間から多くの人数で雪すかしをしているところは仕事の面でもしっかりやっているんだなと想像できたりもする。逆にそうでないところや一人でやっているところなどもある。そこのコミュニティー内での様々なパターンが色々とみられ、そこからその集団の内側の一部をいっときでも垣間見れるのが面白い。
出勤前のご近所さんとのわずかなやりとりや一瞬の姿、行動からその人、その家庭の一面が分かる。時間がない中で焦ってスコップを振りかざしている人や、家族全員がでてきてお互いに協力し合って雪をどかしている姿。自分のところだけではなくみんなが使う道路まですかして笑顔で挨拶する方、余裕があったりそうでなかったりと雪という媒体によって地域の人間模様を実は垣間見ることができるのである。さらにいえば雪という困難なものに出会った時、その対処方法を見ることは広い意味で私たちが困難やピンチに直面した時にそれに対してどのように向き合っているのかが分かる貴重な機会でもある。
毎年のこの時期、自分にとっては雪が降るということは余計な作業が増え嫌だな、なるべく降ってほしくないと思うことが常であるが、見方をかえればいつもは触れることない別の一面を見られる、いつもとは違った裏の世界をみることができる時期でもあるということもふまえれば、いささか楽しみだったりもするのである。
つい先日も自分の職場の前の駐車場の雪すかしをしていた。隣が美容室でありふだんはどういった方がいるのか会ったこともなく分からなかったが、雪すかしという共同作業のおかげで初めて挨拶や言葉を交わすことができたのである。
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