昨日のテーマであった記事のネタに困ったら以前に取り上げた内容を違った視点で書くということを、さっそくやっていきたい。
ずいぶん前に「質と量」というテーマで書いたことがあるが、今回はそのリバイバル版。
あれから数年は経ったと思うが、確か内容は「質を高めていきたいのならある程度の量をこなさなくてはならない。その中で毎日工夫改善を繰り返していくことが大切である」ということを述べたのではないかと思う。
今回はその「量」を継続をしていく中でも「カン」という理論では言い表せないものが備わってくることをつけ加えたいと思う。この「カン」というものが加わってきて「質」にさらに重みが増してくるのではないか。
よくカンは「ヤマカン」とかいう言葉もあり「イチかバチか」といわれることもあるが、本来「カン」というものはそういった「ばくち的」なものではなく、「経験」から備わってくるものであると以前にどこかで聞いたことがある。
以前に似たようなことがあった。今回のこの事例は初めてであるが、おそらくこういったことになるのではないかといった過去からの様々な量の経験から「カン」というものは導き出され備わってくるものであると思う。
「カン」は一朝一夕には身につかない。やはり普段からの地道な継続の積み重ねからしか得ることができないと思う。また別の意味の言葉で「年季が入る」という表現も自分は好きである。人や物にも使われる表現で熟練しているとか、長く使われているといった表現である。やはりこのような高い質を獲得するには量をこなす過程からでしか得ることができないんだなと感じたのである。どんな人でも毎日行なっている「仕事」がある。この「仕事」こそが一般的に誰でも「質」を高めていけるチャンスがあるのだと思う。
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