今回は自分が愛読している新聞のコラム面でハッとした気づきがあったためそのことを書いてみたい。その文章を書かれていたのは自分より少し年配のエッセイストの方であり、なかなか面白い視点だな思い、その言わんとする理由も自分の中で腑に落ちたためとても興味深かった。
ハンサムという言葉は自分の子供時代によく使われた言葉でいまでいうイケメンと同じく容貌のよい男性を表す言葉でる。どちらかといえばハンサムという言葉は今より昔の昭和の時代によく使われていた。
さて筆者が言うには、ハンサムとイケメン、この二つの言葉は似ているようで全く同じではないということだ。読み進めてみると、ハンサムが使われていた時代の男性は今の時代は使われていない「苦みばしったいい男」というものである。自分も初めてきく表現であるが、つまり「あまり笑わない、笑顔などたまに見せるけど微笑程度」ということを表したものである。
その後、時代は下って、ご存じの通り今では男でも笑顔というものが重要になってきている。笑顔を見せない男性は偉そうだとか、とっつきにくいとの印象をもられるようになったというのである。
確かにと納得する一方、ではなぜそのようになったのか、その理由がうまく考察されている点が自分にとって面白く勉強になった。
まずは女性の社会進出の影響である。昭和の頃は今と違い専業主婦の割合が高く、男は社会でお金を稼ぎ、女は家で家庭を守るものといった考え方が主流であった。しかし今では女性も社会で稼ぐようになり男性との役割りとの格差がなくなりつつある。
昔は「男は度胸、女は愛嬌」と言われたものだが、男女の役割の格差がなくなった以上、女も度胸が必要になった反面、男も愛嬌が必要になったともいえるのである。また、今では女性が男性に頼らずとも生きていけるようになると、強すぎる男性像は女性を支配しようとする印象があるため、かえってそうではない男性のイメージを女性が求めるのではないか。
女性が男性の庇護のものとで生きるものとされていた時代は、男性としての強さを感じさせる顔立ちに女性は魅力を感じたのだと思う。それが濃い体毛やしっかりとした目鼻立ち、はたまた「笑わない」という性質に表れていたのだと思う。
かえって今の時代におけるイケメンというと、眉毛等は決して濃くなく、目は涼しげで切れ長。鼻や唇の厚みは少なく、全体的にサラサラとしたイメージである。対してハンサムは様々な部位が濃く、厚い。
読み終えてなるほど!とすんなり腑に落ち納得したのは自分だけだろうか。確かに自分の子供の頃の昭和の男性の顔立ちはそうであったように思う。こうした男性の顔立ちを、移り変わる時代背景に応じて推移していることを上手く理由に取り込んでいるところに読みごたえを感じたのである。久々の新聞のコラム欄を読んで自分にとっての名作と出会えた気分である。
では最後に女性の顔立ちの時代ごとの好みはどうかという点についても気になるところであるが、本文では、女性は男性と違って昔も今もさほど変わっていないように思う、と述べられていた。自分としては女性の社会進出がすすんだことにより、おしとやかな大和なでしこといった昔ながらの男性に従順な感じの顔立ちよりも、一般的にしっかりとした自分の意志を持った芯の強い女性像が好まれているのではないかといった想像が働いているのだが、どうだろうか。
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