最近、日経平均の最高値更新がニュースになったが、この最高値(さいたかね)を「さいこうち」とラジオ番組で読んでしまい、後で間違った読み方をして恥ずかしい思いをしたという方が書いた日経MJのコラム内容について思ったことについて書いていきたい。
読み方をまちがえるということは誰にでもあると思う。「さいたかね」という言葉は普段から聞いたことはあるが、いざ漢字で書かれていたり、普段と違った状況に置かれたりすると、分かってはいても読み方を間違えてしまうことがある。
かくいう自分も中学2年の国語の授業で「案の定」を「あんのてい」と呼んでしまい大爆笑にあったという経験がある。先生から「あんのじょう」と読むのだということを教わると「あんのじょう」という言葉は知っていたが漢字では見たことがなかったので「案の定」と書くということをその時に初めて知った。
これほど恥ずかしい思いをしたのだからおそらくこれから一生は「案の定」の読み方や書き方は忘れないだろう。自分と同じくこの日経MJのコラム記事を書かれた方も「最高値」のことは頭に焼き付いたため、もう間違えることはないであろうと語っていた。
さて、ここからが本題。自分が中学3年の時の社会の授業での時、「世論」という言葉をクラスメイトが「せろん」と言った時のことだ。自分ではニュースで世論調査(よろんちょうさ)という言葉を知っていたため、「せろん」ではなく「よろん」と呼ぶのだと正されるだろうと思っていた。
しかし先生は正すところかそのまま「せろん」という言葉を使い続けて授業を続けていった。自分はあっけにとられていた。実は後で知ったが「世論」は「よろん」「せろん」どちらも正しい読み方であり誤りではないということである。
厳密にいえば「よろん」と読めば「世間一般の人の考え」、一方「せろん」は「ある社会の問題について世間の人々の持っている意見」という意味があるそうである。
言葉には一つの意味しかもたないものもあれば、読み方や意味も何通りもあるものもある。それだけに日本語は奥深いし難しいともいえる。
例えば「鳥肌が立つ」の意味は本来は寒い時や恐怖を感じた時に使う言葉であるが、最近では感動して興奮した時に使う言葉にもなってきている。また「役不足」「失笑する」「(話の)さわり」「情けは人の為ならず」といった言葉なども、本来の意味とは逆の意味で解釈されているものや、元あった意味とは全く違った解釈で今では話されている言葉もある。
「鳥肌が立つ」という言葉に関しては自分の子供の頃はゾッとした時などの表現としてなじんでいただけに感動した際に使われた時には正直違和感があった。ただ言葉というものは時代ごとにその使われ方も変化してくるのでその言葉の使われ方がその時の世論を反映しているともいえる。
そういうわけで最後に、「最高値」を「さいこうち」とひょっとしたら呼ぶ日が将来くるのかもしれない。ふとそのように感じたのである。
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