第245回 文章力を鍛える

以前に自分は将棋を観るのが好きだということをこのコラム欄に書いたことがある。実は以前に新聞を毎日購読していた頃は、たいていどの新聞にものっている囲碁将棋欄の対戦記事である観戦記に目を通すのを日課にしていた。

観戦記は対戦相手が変わるごとにその記事を記載する人も変わるが、読んでいて特に文章が読みやすいな、うまくまとめられているなと感じる記事もある。内容は将棋の現在の形成判断だけではなく対戦棋士のそれぞれの特徴なども織り交ぜて書かれているわけであるが、それをまとめて書く人にとっても個性がでるわけで、限られた文字数の中、うまくコンパクトに書かれた内容を読めた時には感心する。

観戦記を書く方は同じプロ棋士であったり、専門の将棋ライターであったりするのであるが、自分がこれまでに読んでいて、とても上手だなと感心させらる文章を書く注目のプロ棋士の方がいる。

その方は年齢が自分と同じであるため自分にとって親近感がわいているのだが、専門のライターでもないのに文章がとても上手く、将棋だけなくそっちの才能も感じさせらるのである。最近同じ出身地の女流棋士と結婚されたそうである。

実は以前にその方が、その女流棋士の観戦記を担当された際の記事を読んだことある。実はその頃からその女流棋士の方に将棋の指導をしていたそうであり、その指導内容などが少し厳しめに書かれていた。理路整然とした指導方法の書かれたその記事を興味深く読んだ記憶がある。その時にひょっとしたらと思っていたのだが、まさか現実に結婚されるとはびっくりした。

話は少しそれてしまったが、今回のことで伝えたかったことはそのことではなく、自分と同じ齢でしかもライターでもないのにしっかりとした文章が書け、かつ読む者も心をとらえるということについてである。どうしたらそのような文章が書けるのか、自分もそのような人の心に響く文章を書けるようになりたいとその時以来思ったのである。

年齢が同じということには理由はないが、齢が同じだとなんとなく自分にもできそうだと思わせてくれる。自分が今のところ毎日このブログの記事をある程度決まった時間に書き続けている理由は、自分もそういうふうになりたいといった願望があるからで、もし毎日書き続けることでそれが達成できるのではあれば続けていきたいと思うからである。

素晴らしい文章は一朝一夕にはできない。かといって何もしなければなおさらできない。そうであれば、少しでも可能性のある方を地道にしていき、日々試行錯誤していって将来のありたい姿を目指して日々進歩していきたいと思う。

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