第113回 徳川家康

現在放映されているNHKの大河ドラマ「どうする家康」もいよいよ佳境に入ってきた。このブログを書いている現時点では家康が秀吉の命によって関東へ国替えになった場面が放映されていた。

よく戦国時代の武将で誰が好きかといった質問をするとだいたい信長、秀吉、家康の3人の名があげられる。信長が好きな人は長篠での大量の鉄砲を使った戦術であったり、楽市楽座などといったこれまでにはなかった常識を覆すような政策をしたことであったり、桶狭間の戦いでの一番の功労者は今川義元の首をあげた者ではなく居場所の情報をもたらした者にしたことなど、時代の一歩先を行く先見性や斬新なアイデアに魅了されたのではないだろうか。

一方、家康はというとなんとなく信長の逆のイメージで、苦しい状況にあっても忍耐によって最後に天下を取ったところ、家臣団の結束が強く部下からも支えられているところ、約260年続く江戸幕府を築く礎を創ったところなどが魅力的なのではないか。

自分はといえば3人の中でも家康が一番好きで理由は今あげたものであるが、その中でも孫の家光の時代に確立された参勤交代という制度に徳川幕府の強さが表れていると感じる。自分としては参勤交代は諸大名を管理統制していく上はとても優秀な制度であると思っている。

特にメリットしては諸大名による反乱を防ぐといった目的のため一定期間江戸に滞在させることや、定期的に江戸とを往復させることによって諸大名に金銭を使わせることによって幕府に歯向かう力をそぐといったことがあげられる。これは常に反乱の危機に悩まされた何かと問題の多かった前の室町幕府と違い管理の面ではとても優れていると感じている。さらに諸大名にお金を使わせるといったことが行列を通過していく地域にお金を落とす、つまり地域経済を活性化させることにもつながっていったと思う。

ここからはあくまで私見になってしまうが、結果的にこれらの制度があみだされたのも初代家康の長年培ってきた人生経験が最終的にモノをいったように思う。

つまり冒頭の大河ドラマの場面に戻るが、もし関東に国替えを命じられた家康が秀吉に国替えを断固拒否したらどうなっていたか。その時はおそらく秀吉によって滅ぼされていたかもしれない。また自分のこれまで住み慣れていた三河や駿府など離れるのが嫌でしぶしぶ江戸へ行くかといった後ろ向きな気持ちで、まだ自分がこれまで苦労して治めていた地域に未練を残したままの気持ちで江戸へ行っていても身が入らずに反乱にあってしまったりして今の首都になっている東京のように発展しなかったかもしれない。

国替えを命じられたその時の家康の心境としてはおそらく相当ショックであったと思う。秀吉を恨んだかもしれない。しかしその後に未開の地である江戸を今の首都東京にいたるまでに発展させた礎を築いたという事実からして、おそらく家康は江戸行きを命ぜられて腐ってしまわずに前向きな気持ちで江戸をこれまで以上に豊かな土地にして発展させようとしたのではなかろうか。

秀吉としては一応は臣下である徳川の力が強大にはならないようにこれまで敵国であった領地を与えることによって反乱にあって徳川の力が弱まるのを期待したかもしれない。しかし結果的には逆に秀吉は家康の力をさらに強大にしてしまう試練を与えてしまったのである。

ここで自分が言いたかったのは物事のとらえ方である。家康の状況は現代の会社員でいえば人事異動に例えられるのではないだろうか。たとえ左遷というような異動であったり、自分の本意ではない仕事を振られた場合でも、それをどうとらえるか、どういった姿勢で臨むかによってその後の成果や人生の結果にもつながってくると思う。命ぜられた仕事や異動を拒否する、これは今後の自分の成長を自ら放棄してしまうようなもの。また命令をただ義務としてこなすだけなのか、それとも自分が主体となって新たに創り出す気持ちで創意工夫して取り組むのか、同じ仕事をするにしても他人ごとか自分主体かではおそらく身につくものや得るものも全然違ってくるのではなかろうか。

歴史的には家康は関東の経営に専念しなければならないという理由で、のちに秀吉による朝鮮出兵を断る口実ができたし、元の敵国の領地運営に失敗するところか逆に江戸をさらに進化発展させて家康自身もゼロから街を創り上げていくといった過程など色々なことを学べて成長することができた。参勤交代という制度もおそらくこうした苦労に苦労を重ねて、様々な経験をする中から確立されていく過程を歩んでいったのではないだろうか。結果として信長、秀吉にはなかった長期政権を維持する礎にもなったのである。

結局最終的に天下を治めることになる家康であるが、自分は家康のこういったところに魅力を感じているんだなと先日のドラマをみて思ったりしたわけである。

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